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平均
今回はかなり長かったので、収納しました(笑)
そんなに楽しい内容のものでもないので、見てもつまらないかもしれませんが・・・。
以前から感じていたもやもや感に対してひと段落ついたので、忘れないうちに記録しておこうとかそんな感じのものです。
いまでもまだわからいのですが、そんな気持ちも含めていまの私に出せた答えはこれ以外ありません。
答えですらないかもしれない。
そんな記録です。
続きにどうぞ!
昔から「普通」とは何かとずっと考えていたけど、ようやく一つの答えが出せそうになりました。
高校のころかな?
人と違うことが何故いけないのかと、やけになって連日のように友達に
「普通って何?どういう人のことを言うの?」
なんて言ってたっけ(笑)
そのころは毎日のように自分がどれだけ変わった人間か言われてたから余計にね☆
「個性って人と違うところでしょ?個性を認めるということは人と変わっているところを受け入れるってことじゃないの?」
「普通っていうけど、本当に『普通の人』なんているの?」
完全にただの屁理屈ですよねー。
でもそのころの私はどうしても普通っていう言葉が許せなかった。
教育では「個性を認めましょう」なんて言ってるくせに、少しでも人と違った行動をしようものなら注意される。
そんな空気がとても気持ち悪かった。
何より変わってる=パーソナリティがおかしいみたいな風潮がどこかあってそれもすごく嫌だった。
そんなわけで、普通じゃない子だった私が普通という言葉に対してかなりの違和感を持っていることはわかってもらえたかな?
そんなわけで、こないだ見つけたのが
「普通の人なんているわけがない。シーソーの真ん中に誰もいないのと同じように」
って言葉だった。
情報源忘れたから正確じゃないかも・・・。
でもすごくいい言葉だと思う。
つまり平均=シーソーの真ん中ってことですね(´ω`*)
私が変人であることの一つの言い訳を見つけることができました(笑)
変人であるということは私の中では変えようもない事実なのに、なぜそれを否定されなければならないのか?
私が私のままでいちゃいけないのか?
私を否定をするということは私の存在そのものの否定につながり、私は生きていてはいけないという考えに繋がる。
変人であることは変えようがありません。
なぜならそれこそ私の生きてきた歴史そのものを否定することになるから。
私が今の私であることを作り上げてきた記憶そのものをすべて否定されることになる。
私はそういうことが嫌だったんだと思う。
私にとってとても価値のあるものが他の人にとってはただのガラクタにみえる。
それはある意味仕方のないことだけど、すごく悲しい。
私の思う「普通」は無個性な人のことを言うのだと思う。
平均から外れたものを個性と呼ぶのだから、人はすべからく変人であるはずなんだ。
その人の人格を作るのはその人の歩んできた歴史であり記憶だ。
その人の個性を否定するということはその人自身を否定することになる。
そんなことを考えながら過ごすGWも悪くはないかなって思える今日この頃(´∀`*)
こういうところが変人なんでしょうね(笑)
2011/05/03 (Tue.) 日常