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2025/07/17 (Thu.)

2012
06
15

何故

唐突に昔のことを思い出して書きたくなりました。
ちょっと鬱気味なので、続きから

中学校のとき、私は足を骨折して、しばらく松葉づえをついていた時期がある。
同じクラスには私の【友達】と言えるようなひとは一人しかいなかった。
階段を上るときや移動教室があるとき、私はその子にいつも教科書や片方の杖を持ってもらって階段を上っていた。
その時期はあろうことか、国語の授業を図書室でやっていたのだ!
私は移動教室の時間がすごく負担だったが、A子がいたおかげで、何とか時間内に移動することができていた。

しばらくして、A子の友達数人が
「A子ちゃんの負担になってるって気づいてないの!?」
と言ってきた。
私にはその言葉の意味が理解できなかった。
どうして杖を持ってもらうこと=負担になるのだろうか?
彼女がそんなことを思っていたのだろうか?
確かに私は普段A子とは違うグループにいた。私の荷物を持ってもらうことによって、彼女の友達との時間を削っていたのだろうか?
もう荷物を持ってくれないとするならば、私はどうしたらよいのだろうか?
他の人に頼むという選択肢を持っていなかった私は混乱した頭で必死に考えた。
「じゃああなたが持ってくれるの?」
彼女は少し狼狽した様子で
「言ってくれたらもつよ!」
と言ってきた。
私にはその言葉が信じられなかった。

きっと彼女たちは私が頼む前にさっさと図書館に向かうのだろう。
そして「どうして」と聞いたら「だって言わなかったじゃん」と言うのだろう。
私は移動教室の時に頼む人がいなくなったことだけは理解した。

授業のあと、私はいつものようにA子に頼もうか、かなり迷ってずっと「タスケテ」という視線をA子に送っていたように思う。
しかしA子は困ったような顔をしながらその友達たちと先に行ってしまった。

私は死にたくなるような気持ちで階段を見つめた。
一生懸命、教科書を持ちながら階段を上がった。
私より遅く来ていた人も私を一瞥して、階段を悠々と上って行った。

次の日から、私は完全に孤立した。
移動教室の時間が苦痛でたまらなかった。
私に声をかけてくれるような人もいなかった。
私自身も「断られたらどうしよう。またあんなことを言われたらどうしよう」と考えると怖くて、何も言えなくて結局ひとりで移動することになった。

しばらくして、移動教室のあと、いつものように階段を上っていると、次の授業のベルが鳴った。

別のクラスの仲のいい子が来たので、思い切って頼んでみた。
彼女は嫌な顔もせず引き受け、教室の中まで持ってきてくれた。

私はお前たちはこんなにも心の狭い人間なんだという風に周りを見ながら、ゆっくりと席に着いた。
その時間は生活指導担当で学校の中でもかなり厳しい先生だったから、きっと説教をしてくれると思ったのだ。

先生がどんなことを言ったのかあまり記憶にないが、
持ってやらないお前らも悪いけど、人に頼もうとしないお前も悪い
というような意味のことを言ったことだけは覚えている。

先生はあんなことを言われたことを知らないから、そんなことが言えるのだと。
先生の説教があった後も、私は怪我が治るまでずっと一人で移動していた。

いまになって思うんだけれど、きっと彼女たちには彼女なりにA子のことを思って行動していたのだろう。中学生故に、言葉が足らず、結果このような言葉を言ってしまったのだろう。
当時の私はいじめられっ子だったし、周りにたくさんの敵を作りそうなことはいくつもしてきたと思う。
でも、それだけで片づけてほしくない。

きっと彼女たちはこのことを覚えていないだろう。
私が彼女たちの言葉によってどれだけ傷ついたかなんて思いもしないだろう。
私はこのことを思い出すときいつも思う。


松葉づえと教科書をもって移動することは、そんなに負担になることですか?



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2012/06/15 (Fri.) 日常

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